昔あった不思議な話

高校時代、弓道部に入っていました。

 

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積極的に入ろうとした訳ではなく、入学した時に、同じクラスになった子に誘われたのがきっかけです。

 

入学した高校の弓道部は県内でも有数の強豪校だったのですが、そのお陰で部活も厳しかったので希望者も少なかったのです。

私を勧誘した子は中学から弓道をやっていて、高校でもやることを決めていたのですが、女子の新入部員が4人しかおらず、あと1人いないと同じ学年で団体戦に出れないので勧誘していたのでした。

 

私は運動神経も鈍いし、「適当な部活に入って適当に遊んで適当にバイトでもするか~」などと思っていたので、そんな自分がまさか高校生活を部活に捧げるとは思っていませんでした。

 

文字通り、365日部活してました。平日は、朝練をしてから授業、昼休みは道場の掃除、授業が終われば練習。土日も部活。年末年始も部活。(12月31日は夜通しで108本の矢を射る『百八射会』というのがあった)

 

そんな中なのにまったく苦に思うことはなくって、授業中も窓から道場を眺めながら(今日はどんな風に引こうかな)なんて部活のことをずーっと考えていました。

弓を引くことが大好きでした。

 

そんなある日。

 

多分試験中だったのだと思います。

誰もいない道場で、私は自主練をしていました。

良い天気で、気温もちょうど良く、とっても気持ちの良い日でした。

 

いつも通りに矢をつがえ、弓を構え、会(かい)に入りました。

 

そのとき

 

私は風である

私は空である

私は大地である

 

という言葉が聞こえました。

「聞こえた」というか、自分の内側から響いたというか。

でも自分の思考ではありません。

 

その時、私は的に集中していたにも関わらず、全てが見えていました。

空も、大地も、風も、道場の内部の様子も、自分の後ろの風景も。

 

 

4本の矢はすべて的に中りました。

 

的前に行き、矢を取ろうとすると、矢は見事に4本とも中心を捉えていました。

 

ご存知の通り、和弓には照準器はついていません。自分の感覚だけで照準を定めます。

そのため、中心に4本とも中るということはかなりの熟練者でも難しいものがあります。

 

私は弓を引くのは大好きでしたが、それほど上手くなく、むしろ筋は悪いほうだと思います。

後から考えてもあのときは「自分がした」という感覚は全くなく、「いつのまにか終わっていた」という感じでした。

 

この話は部活の仲間にも先生にも言いませんでした。

言ったところで信じてもらえないだろうと思ったし、馬鹿にでもされたら厭だなと思ったからです。

 

今になって、坐禅の先生である住職に話してみたところ、

「スポーツでいう『ゾーンに入る』ということは聞いたことはありますが、禅定に入るというのは初めて聞きました」

とおっしゃっていました。

 

それで初めてあのときの状態が「禅定」だったのか、と分かりました。

 

それが試合で発揮できたらすごい選手になれたのですが、あいにく「自分の力ではない」ということだけはよく分かっていたので、その体験に執着しなかったのは運が良かったな、と思います。

 

それでもあのときの体験は

私の中では神聖な、侵しがたい宝物として残っています。